マレー半島の記憶
Malaysia - Singapore - Hiroshima

広島の悲劇は何故起きたのか、戦争を始めた連中は誰なのか

 マレー半島で一般住民虐殺の蛮行を行った旧日本陸軍の公式記録である広島第5師団歩兵第11連隊第7中隊の『陣中日誌』が、1987年に発見された。

 かつてアウシュビッツ裁判においてドイツの人々が自国の過去の歴史に向きあったように、アジアの友人がいる者として、どうしても知っておきたかった事実の光景を求め、わたしはマレーシア、シンガポール、ヒロシマを旅した。

 大戦時のマレーシアでは、多くの華僑(中国系マレーシア人)の人々が旧日本軍によって虐殺されたという事実を、友人の写真家アンディー・オングから聞かされた。

 アンディーの父、王 家昆(オー・カークン 81歳)さんは、旧日本軍によって虐殺された住民を目撃した方で、日本にも招かれ講演をされたことのある証言者の1人であった。

 

 2013年1月。私はアンディーの運転する車で、王家昆さんの自宅を訪ねた。クアラルンプールから車で約3時間のところにイポーという街があり、その郊外に王さんは長男夫婦と一緒に暮らしている。

 81歳の王さんはとても元気な方で、声も大きく、しっかりとした口調で約70年前の光景を語ってくれた。当時王さんは10歳の少年だった。

 1942年3月、王さん一家のすむ村に旧日本軍が押し寄せ、村の男性たち約300人が連行された。その日の夜、王さんは銃剣で殺害されている男性たちの叫び声を幾度となく聞いた。その声は村中に響き渡り、少年だった王さんはとても怖くて眠れなかったそうだ。

 翌朝、王さんは日本兵に見つからないように、叫び声の聞こえてきた場所へ様子をみにいった。そこにはなんと13体の血だらけになった村人たちの遺体が転がっており、その中には王さんの小学校の先生や、子供ができ父親になったばかりの知り合いの叔父もいたそうだ。その凄惨な虐殺現場の光景はけっして忘れることができない、と当時を振りかえながら真剣な眼差しで王さんは私に語ってくれた。

 

 1942年、真珠湾攻撃と同時に開始されたマレー作戦で旧日本軍はマレー半島及びシンガポールを占領。

 シンガポールでは「粛清」と称した虐殺がおこなわれ約5万人の華僑が殺害され、マレー半島では「華僑狩り」と称して華僑の人々が暮らす村々に旧日本軍が侵攻し、夥しい数の村人たちが銃剣などで殺害された。その数約10万人といわれている。村人全員が皆殺しにされた村もあり、これらの蛮行をおこなった部隊が広島の第5師団だった。

 多くの日本人は、広島に落とされた原爆による被害者としての歴史は認識しているが、加害者であったという歴史を認識している人は少ないだろう。

 アジアの人々と本当に理解し合えるためにも、日本人は過去の歴史を正しく認識することが必要だ。また、そのことが戦争をなくす唯一の方法だと私は思う。

 

 

                                                                                                                 ※マレーシアの虐殺事件については、琉球大学名誉教授の高島伸欣さんが詳しく調査されています。